2016年2月16日火曜日

「常に疑うこと」の大切さ

こんばんは、深夜の更新です。
いま、今日22時にやってた「プロフェッショナル〜仕事の流儀」を鑑賞しています。
世界一のバーテンダーであるある男性を密着したものなんですけど、ぐっとくる名言があったのでシェア。


以下、番組内より引用


”お客さんが毎日来てくれて、楽しかったと言って帰ってくれればいい。商売としては。いいんですけど、それだとプラスは無い。いつだって「それでよかったんだろうか」と疑ったほうがいい。”

これって、教師を志すもの誰にでも当てはまるんじゃ無いかなって思います。

まだ教師になってもいない僕の持論ですのでどうか、叩かないでください。汗

もし、ひとつのクラスを持つことになれば、僕が力を入れるのはきっとこう。
  1. 学生を知る!!!
  2. 可能な限り手の凝った教案(指導案)の作成
  3. 学生・自分共に深い学びの時間を創る
超理想でしかないですがこうなんです。
なる前なんで、なんとでも言わせてください。

そんで、僕は褒められる自分「やるじゃん」って思っちゃうかもしれません、
「先生の授業、わかりやすかったです」とか「よかったです」なんていわれたら自分に酔ってしまいそうな気がします。ていうかそれを言われたいがための授業をしてしまうかもしれません。
教案作成、実践演習ですらひぃひぃ言うてました。
大変ですよね。あれを毎日50分1本で考えるだけでも。

さて、ここでです。
大切なのはいつだって学び続ける存在であること。いつだって自分の授業に酔わないことですよね。

某大手塾でアルバイト講師をしたころ、塾長にお願いして
3ヶ月に1回は、若手とアルバイトのみを集めた研修会を開いていました。
すべて若手とアルバイトの意志からであり、もちろん無給です。

入れ替わりの激しいアルバイト講師(大学生活の4年間働き続ける人もいれば、もちろん半年で消えていく人もいます)の間では、この会は不可欠で僕もよく英語の教授法について後輩にプチセミナーを開いたりしていました。


「○○先生の授業、いいですね」「そんなアプローチの仕方があったんですね。」
なんて言われるたびにニタニタしていた自分がいたなと今では反省しています。

あれじゃ途中から、僕の授業スタイルにプラスはなかったんですね。

いつだって「それでよかったんだろうか」と自分の授業を客観的に、批判的に見て、プラスを見出していけるそんな教師になりてえな。
なんて独り言をつぶやきたくなった深夜一時でした。



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